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2011年 02月 23日
今日公園で遊んだ女のコは六歳。 お父さんが連れていたので保育園の話しなんかしていたら「今日は行きたくないって言って。よくあるんで参ってますよ。もうすぐ小学生になるのでどうにかならないかなあって」 保育園や幼稚園、学校は毎日行って当たり前。 社会に適応しない子になりそうで心配。 そう思ってらっしゃるそうです。 「うちもそうですよ。今は私も仕事してないんで休みたい日は休ませてますよ。ハハハ…」 「そうなんですかハハハ…(苦笑)」 長男あおくんは毎日保育園に行けません。 というか、行きたがらないし私も行かせない。 あおくんが休みたい日に一緒に過ごせる日は休ませています。 私も小さい時、仕事で忙しい母親と一緒に過ごしたくてたまらなかったんです。 「行ってくるからね」 と言い、勤めに出ていく母親を大泣きしながら引き止め、おばちゃんにつれられて保育園に行ってたこと、今でも覚えています。 保育園に行ったら行ったで、気持ち切り替えて遊んでるんですけどね。 小学校高学年に入るまでは、無遅刻無欠席、成績も良かったし運動もそこそこできていました。 でも、高学年に入り、両親が離婚と同時に同居していた祖父母とも離ればなれになり、虚無感と大人や学校への不信感から学校へ行かなくなりました。 中学迄は行ったり行かなかったり。 高校は昼間働きながらなんとかギリギリ三年で。 そりゃもう大揉めでしたよ。 母親と、学校と、自分と… 母親は「義務教育なんだから行きなさい。」 学校の先生からは「みんなも楽しく行ってるし行こう!」 自分「世間体と私の気持ちと、どっちが大事なの?みんなは楽しくても私の気持ちは楽しくないんだ!」 「お互いの個性を尊重しましょう」 ホームルームで言ってた先生の言葉に興ざめしたのを覚えています。 特に、私の通っていた中学は公立の割に校則が厳しかった為その反発心は、大きかった。 おそろいの制服着させて、髪の毛もゴムの色も、スカートの長さもなんでも同じじゃなきゃだめ。 でも中にはいわゆる不良の子もいて、金髪に染めてメイクもしてたまに登校してくるけど著しい校則違反とみなされ帰される。 おかしい!おかしすぎる!! 少女あやのは大憤慨。疑問だらけの学校生活。 言動も、服装も、目立つ者は摘まれる意識は、大人たちだけではなく子ども達の間にも拡がる。 「いじめ」なんかはその代表例でしょう。 自己主張の強い子は、「ウザがられ」そして「省かれる」。 自分の長所を述べようものなら「ナル(シスト)入ってる」。 目立たないことこそ美徳。 みんなと調和してこそ美徳。 経済的には豊かだけれど、今の日本社会をみてみると、全く豊かじゃない日本人の心。 なにが「個性を尊重」だと、鼻で笑った。 そして、先生に食らいついた。 「友達も勉強も給食も好きだけど、学校になんか絶対に行かないから!」 基本的に朝までオールナイトニッポンを聴いて、朝から夕方まで寝て、起きたら気がすむまで楽器弾いて歌いちらす。 そんな毎日。 髪の毛も染めてピアスもあけて、自分で服を作って派手な洋服で街に繰り出す。 志茂田景樹みたいな恰好してたな(笑) 「自分」を精一杯表現していたんだと思います。 「みんなと一緒」じゃいやだった。 「私は私」でいたかった。 もし、親や周りの環境に 「一人一人が特別な存在、かけがえのない存在」 「みんなと違うことってかっこいい!」 って事、上手に伝えてもらえてたら、もしかしたらここまで反発はしなかったかも。 私は学校に行かなかった。 だけどきっと本当は行きたかった。 もっともっとたくさんのこと、同じ時間を友達と共有したかった。友達は多かったから。 私は学校へ行かない時間、学校へ行ってた同級生が見られないものをみて、感じなかったことを感じていたから学校へ行かなかったことを引け目にも負い目にも感じていなかったけど、どこかで年相応を楽しみたかった気持ちが正直ある。 先日、ものすごく久しぶりに中学の頃の卒業アルバムをめくりながらそんなことを色々と回想していました。 卒業アルバムを見ながら、集合写真の右上に写る欠席者の写真の一人一人に「みんな自分らしいいい選択したね〜」って心の中で声をかけました。 私の小学、中学時代はちょうど不登校が問題になっていた時代です。 子どもたち一人一人が木だとすれば、日本社会や教育の風潮は 「寸法を揃えて切り揃える」 そんな印象。 その定められた寸法から数センチでもはみ出ればすかさず剪定され、出ようとしていた新芽さえも摘まれてしまう。 そんな風潮だから、色々な想いを持って学校に行かない子ども達が問題児となる。 そもそもその風潮がなくて、もっともっといろんなカタチでお互いの生き方を尊重しあい大切にし合える教育だったり意識だとしたら… 問題視すらされず、伸びたい方向に生き生きと枝を伸ばし、大輪の花を咲かせることができるのかもしれない。 と思う。 今日公園で出逢ったお父さんにも伝えたかったな。 「あなたはそのまんまでいい」 当時私も言われたかった。 だから私は自分の子ども達に、周りの子ども達に、縁あって出逢った友達に、そう心から思いたい、と声に出して伝えたい。 他の誰も思わなくても、私はそう思っているよって。
by okomesan_okawari
| 2011-02-23 15:19
| こどものこと
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